商工会女性部味噌作り



今日で五日目です。
味噌作りを 味噌加工所に移動してから 大きな釜や蒸し器を使用すると、製造工程のスピードがグンと早くなりました(といっても一回作るのに6日は必要ですが^^)
黒米の発酵が済み 塩留めすると 大豆がグツグツ炊けはじめています。
後数時間 炊けてから豆を潰します。
難易度の高い、大豆を磨り潰す機械が故障したままなので、役場が修理してくれる事になりました。
それまでは、皆で交代しながら手作業で潰しています。
頑張るアンマーの味、おいしくな〜れ。おいしくな〜れ!

パパイヤの底力



パパイヤイリチー(パパイヤの炒め物)の感想です。
『普通に美味しい』
普通?言葉のニュアンスが違う(まぁまぁ美味しい)とか 日本語が変だわい。
年齢のギャップにブツブツ。
ま。いいとして。
パパイヤは味はノーマル(大根の味が薄い物みたいな)です。
ところがビタミンはAからCまであるし タンパク質を分解する酵素もふんだんに含まれている
万能選手ですね。
パパイヤには 野菜パパイヤ・果物パパイヤがあります。
皮を剥いて 中の種を取り 千切りにして パパイヤチャンプルー
ヌチグスイ ヤッサ!

渡嘉敷島慰霊祭



3月28日 午後1時半
渡嘉敷島の慰霊祭でした。
遺族代表 米田 英明さんの追悼のことばを 下記に承りました。
「本日ここに座間味昌茂村長をはじめ来賓の…略
昭和20年の終戦から69年の歳月が流れ、我が村、そして私達が決して忘れることのできない3月28日の本日、村住民の集団自決の日を迎えました。
悲惨な戦争に終わりを告げ、我が国に平和が蘇った終戦の日を迎えるたびに 国の行く末を思い、故郷や家族を案じつつ戦場に散ったご英霊や「生きて捕虜となり辱しめを受けるより 死して国に殉ずることが国民としての本分である」として 集団自決を強いられて亡くなった一般住民の方々、またスパイ容疑などで日本軍に殺害された方の無念に思いを馳せ、遺族の深い悲しみに満ちた往時を偲ぶとき、誠に痛恨の極みでございます。
わたくしの母親の米田光子は、1人の兄が糸満の摩文仁で学徒隊として戦死、父や防衛隊の兄2人も北山の集団自決で亡くし、4人の肉親を失いました。
戦後69年の現在、ご遺族の皆様の高齢化や戦争を体験された方々が他界されたこともあり、遺族の皆様も戦争を直接体験したことがない戦後生まれの私達の世代に変わろとしています。このような経緯で遺族を代表して追悼のことばを述べさせていただくことになりました。
顧みれば戦没者遺族は一家の中心的存在であった肉親を失い、戦中戦後の混乱する社会、焦土と化した村の下で物心両面に渡り筆舌に尽くしがたい苦境に立たされましたが、みんなで心を一つにして立ち上がり、お互いを思いやり、貧しいながらも支えあい、復興に向けて懸命の努力を重ね今日まで歩んで参りました。
その道のりは決して平坦なものではありませんが、戦没者遺族が生活を再建し、正しい道を歩み平和国家の増進に寄与することができたのも、国及び県、村におかれて、戦没者と遺族に対する弔意と深いご理解、ご支援があったからと思います。
戦後、日本は戦争への深い反省のもとに世界に誇れる平和国家として歩みつづけ経済的発展を成し遂げました。
我が村も以前はカツオ節生産で潤い、今では観光産業が盛んになり、県内外から多くの観光客や研修生などが訪れ、島の自然を満喫するとともに島の文化と歴史を学び平和学習なども行っています。
島の戦争の悲劇を後世に継承していこうと、このたび、村予算で集団自決跡地、旧日本軍赤松隊壕などの戦争遺跡が環境整備され、安心して現地見学もできるようになり、また、慶良間諸島が国立公園に指定されたことで、多くの観光客への島をアピールできます。
国立公園記念碑除幕式で石原環境大臣は挨拶の中で「この宝の海、素晴らしい自然を環境教育や平和教育の場に活用してほしい」と期待しています。
これも偏に、国難に殉じ、渡嘉敷村の再建への磯となられたご英霊の平和への切なる願いと精神が黙々と流れ受け継がれているからであり、その尊い遺徳を私達は決して忘れるものではありません。
我が国で唯一、住民を巻き込んだ地上戦であったゆえに起きた沖縄戦の悲惨さや、我が島で起きた「軍が住民は北山に集まれ」と、軍から配られた手榴弾で一般住民が集団自決を強いられ、赤ちゃんからお年寄りまで329人が亡くなった悲劇の真相を、生き残った多くの方々が証言されています。
この歴史的事実を戦後生まれの私達が正しく後世に伝え、二度と戦争を起こさない犠牲者に悲戦の誓いの祈りを捧げ、平和への願いを新たにし、命の尊さ、平和の大切さを発信していくことがわれわれ遺族に課された使命だと思っております。
本日の慰霊祭に望み、悲しみの歴史を繰り返さないと決意を新たにし、戦争の史実と教訓を風化させることなく子子孫孫にわたり正しく継承し、平和で希望に満ちた社会の推進に一層努力を重ねますことをお誓いいたします。
以下 略。

島のタクシ−  



なければ 困る島の足。タクシ−さん。
海を眺めたい、病院や農協へ、夜は遠出してお酒を飲んで ゆっくりしたい
早速、繰り出る渡嘉敷島の足タクシ−は 笑顔で、雄弁です。
シーズンオフ期は三線が 聴ける時もあって、都会のタクシ−と一味違いますよ。
家に戻ると畑もしていて 季節によっては ウサガミソーレ(食べて)と パッションフルーツがでるかも鴨めのジョナサン
送迎車は どこの宿にもありますが、離れた海を見たい、 ATMは?という咄嗟の時 宿では対応ができません。
スイーンと 迎にきてくれる、ヨネハマジャンボタクシ−さん。
夏と一緒に タクシ−を 島をあちこちで見かける季節になります(o~-‘)b。

最近の島タイム



麗らかな春眠の季節です。
朝、眠くないですか?
ほのぼの島タイムのはずですが、観光客の皆様と島人の時間の流れが変わっています。
今沖縄は、スピードが加速して都会化が すすんでしまいました(過去形ですf^^;。
島の行事が一年を動かしていたのに、参加者のメンバーチェンジも加速中で。。。
他事に追われるようになりました。
本業は いつも通りで この季節は のんびりしているはずなのにンニク。
誰もが次々と用事が、たっプリンに詰まっています。
親戚縁者が顔を合わすのも、 冠婚葬祭の時に限られてきました。
この沖縄がですよ。都市化って、プライベートの雑事が 交流を変えていくようです。
ああ!猫は 幸せ。
大自然は変わらないのに…どこがどうしたのかしら。
変わりつつある田舎暮らし。
いつも翌朝の仕事がない。 飲み放題、朝まで ユンタクOKの時代がありました。
今はシンデレラタイムです。
オールナイトの人がいたら、その人は仕事が できない人。
昔は、許されたんですよね〜。甘〜い 愛情で。
愛情が気丈になったのか、飲んべえは 見放される社会になりました。
タイムイズマネーではなく、 タイムイズ信用です。
沖縄タイムは 期限切れ、のんびり感が変わりゆく一抹の淋しさ。
北から南まで 、あ!船が出る時間です。
一分の ちょっと待って、はありません。
時間が48時間欲しいなぁ。

キラキラの16歳



3月も後半です。渡嘉敷島は、日中は暑いのですが、 風がひんやり(油断禁物)
笑顔の華が咲く、目黒高校の一年生は元気にパシャパシ水遊び
オーストラリアからいらしたお客様が、自国のようだ、と(ふ〜む海外的ね)。
さて、海では連日 ザトウクジラが姿を見せていますよ。
那覇から渡嘉敷島までの航路で 度々 ウォッチングされている ザトウクジラ。
ホエールウォッチングも終盤に近づいています。
地球の大気汚染は問題ですが、一蓮托生の海
海の汚れは 太陽に熱せられて、水蒸気になって雲になると 雨や雪となって 地上に戻ります。
地球を大切にしていきましょう。
海の中で 唯一動物である 珊瑚礁やクジラ
負けないぞ〜っと 皆のように頑張っています。

女性一人旅



初めての一人旅に 渡嘉敷島を選んで下さいました。
海が大好きになってしまう 安らぐ心地良さを知ったそうです(嬉しいな^^)
晴れた日のケラマブルーが リラクゼーションをくれるのです。
ほんの少しの勇気と、エイヤ!と 決める決断
思い立って吉日ですね。
お天気も好転した旅行。
時計を止めて、シンプルに
太陽が出たら朝
沈めば 夜
大地の風と 砂を感触を 素足が、カラダのリズムを素にしてくれます。
都会と違って 何もないけど とっても満たされる そういう空間です。
また遊びにいらして下さいね。

クリーン活動の目黒高校



今年で32年目になる、東京の目黒高校様が来島されました。
関口校長先生が 自ら「綺麗な渡嘉敷島を掃除しに行こう!」と 勇姿を募られるのです。
修学旅行とは違う 春休みを利用した、渡嘉敷島「ごみ拾い活動」は、一年生から 三年生まで 今回12名
渡嘉敷島に着くなり 荷物を置くと、直ぐにビーチのごみ拾いが スタートしました。
飲みかけのペットボトルやうち上がった木切れ(数日の風で浜辺に打ち上った漂着物)
溶けることのない,煙草のフィルター。
昼食をとると 今度は アハレン区内を、隅々まで ごみ拾いです。
あっという間の4時間 汗が流れています。 道端にへばり付いた 煙草のフィルターや 潰れたペットボトル…区内は大丈夫です。なんて言った自分が恥ずかしい(;_;)。
わざわざ飛行機に乗って この小さな渡嘉敷島まで クリーン活動に来て下さった12名の瞳。
太陽と同じくらいキラキラでした。
感謝でいっぱいです。ありがとうございましたm(_ _)m。