夢見ごこち



いつものように朝がきて
太陽が昇り、のびのび〜。
この当たり前が ありがたいです。
今日の渡嘉敷島の気温は
日中24゜夜は19゜
四季折々の季節感が 感じにくいまま あっという間に5月です。
梅雨入りの言葉を聴いたら。ほらね。途端に晴れマーク。
ホワンホワン 空の雲に寝転がって 
暑さがくるまで ゆっくり日をめくるのも 悪くありません。
カラダの骨々を グーっと伸ばして リラ〜ックス。
あッーーーーーーー。
時間が過ぎてる。遅刻。
大変だ〜。車どこ。キーどこ?
持ってた。

夏も近づく八十八夜



立春から八十八日目を 八十八夜といいます。
そう^^ 渡嘉敷島は晴天!
夏も近づく八十八夜♪♪ に相応しく ピカピカの空にやりました。
お茶に含まれるカテキンは 一度に飲んでも カラダから排出されてしまうんですって
何回かに分けて 飲む方が 摂取されるそうですよ。
サンピン茶茶茶♪
沖縄の食生活は 復帰してから スピーディーに変化しました。
お茶は 緑茶と烏龍茶の売上が 上回るそうです。
サンピン茶が 沖縄の定番茶としての位置付けは 少し揺らいでいます。
で〜も 今朝はサンピン茶。
カキンと冷えた お茶が 夏のけだるさを 吹き飛ばしてくれます。

今夜の家ご飯



●マスタード風味のチキングリル
●ゴーヤチャンプルー
●山芋のサクサク梅和え
●たっぷりモズクの天ぷら
●手作りジーマミィ豆腐
●ひじきの煮物
●ミミガーキムチ
●切り干し大根とシャキシャキ島ラッキョー漬
アーサーのお味噌汁
さぁ!ウサガミソーレ。



あれ!ジョッキ一気飲み!
カキンと冷えた 生が喉ごし グビッと、たまりませんね。

GWエンジョイ方法



マリフェスで来ると約束された 〇田さんと〇藤さんが 渡嘉敷島に来てくださいました。
GWのスタートから ケラマの海で リフレッシュされました。
渡嘉敷島って 遠いようで 近いんですね^^o
那覇空港に着いてしまえば 15分かからずに泊港。
高速船に乗って 35分で渡嘉敷島に到着。
いつでも パピュ〜っと 飛んで来て下さいね。
爽やかな高気圧ボーイの お帰りの日
梅雨入り宣言した沖縄を 快晴のまま過ごされました。

ワクワク度数上昇中!



気温 24゜
太陽と 爽やかな風(といちいけど少し強い風、ああ無情)
サンサン光線君、遠慮しないで 光って下さい。
明日は 明日の風が吹くけど 今を楽しんで 今日という1日を、完全燃焼して下さい。
暑からず 寒からず
ウリズンの季節
ゆっくり時間の海を 渡っていきましょう。

GWのお天気



予報が出ました。
GW今日の予報では 気温うなぎ登り。太陽サンサンで~す\(^^)/
今日は、マザーテレサの言葉から。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

鬼慶良間のお話



参照・国立沖縄青年の家『とかしき民話』から
鬼慶良間(ウニギラマ)と阿波連弁慶(アハレンビンチー)のお話です。
昔 昔 とてつもない力持ちの人が 渡嘉敷島の外から やってきたそうです。
あまりに力持ちなので 鬼慶良間(ウニゲラマ)と呼ばれました。
しかし優しくて 島人のことを 良く考えてくれたそうです。
昔は 餓死する人もいました。
すると 西山の一帯に蘇鉄を 植えさせたそうです。
『飢餓ではない間 毎年その実を取って 分けて食べなさい。だけど、そんなときでも幼木を取ったり、全部一度に取ったりしたらいかんよ』と教えたそうです。
渡嘉敷島の地元、阿波連には、やはり阿波連弁慶という 力持ちがいました。
互いに勢力争いをしたそうです。
渡嘉敷から阿波連へ行く途中に、小さな川が流れていて 着物を濡らしてしまうので 鬼慶良間が木の橋を架けたそうです。 
すると 阿波連弁慶が 踏んで折ってしまいました。
次に鬼慶良間は 1つの石を肩に担ぎ、1つを脇に挟んで持ってきて 石の橋を架けたそうです。
また 阿波連弁慶が来て 踏みましたが 折れないので 『お前に 負けた』と言ったそうです。
さて、阿波連弁慶は『ひとつ相撲をとってみよう』と言ったそうです。
阿波連弁慶は ヒランシーという海岸に立って 竹をしごいて 帯にして巻きました。
鬼慶良間は何もつけません。
『なぜ何の帯もつけないのか?』というと『『この勝負はやってみたらわかるよ』と言いました。
2人はずっと見合っていたそうです。
岩の上には、ちょうど人間が 立っていたように ひっこんだ所が 2つ残ったそうです。
現在 岩は取られて なくなってしまったそうです。
さて、鬼慶良間には 子供がいませんでした。
自分が住んでいた門中の人を 集めて『墓を造ってあげよう』と 石運びを始めたそうです。
上が屋根の形をした 破風型を造ったそうです。
普通お墓は ひと組ですが そのお墓は 入り口も中も ふた組になっていて、中でお膳のやりとりが出来るようになっていたそうです。
鬼慶良間は、大きく長い石を 八つ持ってきたそうです。
その八つ目の石を運んでいる途中で 亡くなったそうです。
死ぬ直前に 『私はこの病から逃げることはできない。 私が死んだら あんた方でこの墓石を持ち上げてなさい。 この墓石をあげられない時は、鬼慶良間リヤーヌエイと掛け声をかければ上がるはずたよ』と言って亡くなったそうです。
皆でリヤーヌエイと掛け声をかけると、石がきれいに持ち上ったそうです。
鬼慶良間は元気な時『このお墓を造っても、私を入れないでくれ。別のところに入れてくれ』と言ったそうです。
何故 自分で造ったお墓に入らなかったかというと、よそから来た人だし
自分の故郷に帰ろうと思っていたからだそうです。
それでも鬼慶良間は 村のターチ墓の横 別にお墓が造られ祀られたそうです。
やがて、お墓の前に お宮が建ち祀り 渡嘉敷の世主加那志(ゆーぬしがなし)と敬られています。
さてさて、日本の童話では 鬼がつくと悪者、弁慶がつくと 豪傑な守り主ですが、渡嘉敷島の鬼慶良間だけは ちょっと違うイメージで観て下さいね^^。